リンダ・レ『キャリバンのコンプレックス』――翻訳で読めないフランス小説4.

 読書家は誰だって、想像上の書物について思いを馳せたことがあるはずだ。子供の頃、まだ読んだこともないし、読むこともできない本の背表紙を前にして、未知の物語が込められた魔法の壺が並んでいるかのように考えていた。そうした思いは、後年、外国語を学習する際に再び現れる。読めない文字列を前にして、神秘的なものを前にしたかのようなめまいに襲われる。そう、書物にも外国語にも、理解の有無を越えたフェティシズムが存在する。

 こんな誰もが一度は考えたことがあるであろう考えに寄り添ってつづられた1冊の書評集が存在する。その作者の名前はリンダ・レ。惜しくも2022年に亡くなった、ベトナム生まれのフランス語作家の女性だ。

 1963年にダラットに生まれた彼女は、驚くほどの読書家だった。その事実は、この『キャリバンのコンプレックス』の頁を繰ればすぐにわかる。そんな彼女の書物へのフェティシズムは、子供時代に既に始まっていた。「印刷物」と題された魅力的な一篇では、小遣い稼ぎのため、魚屋に古新聞の束を売っていた頃のことが語られるが、そこには既に書物を神聖視していることがうかがわれる記述がある。

《魚を包むのに使おうとしていたケチ野郎たちに古新聞を売りつけた時、一時的でちっぽけなもうけのために聖なるものを売ったシモン・マグスのように、私は罪悪感を感じたのだ。なぜなら、言葉はたとえそれが使い古されたものであれ、聖なるものにみえたからだ。》

 リンダ・レは、子供時代からずっと書物と文字を聖なるものと考えていた。そして、多くの読書家たちと同じように、彼女にとって読書は現実逃避の一手段でもあり、自らの創造の出発点だった。次々と世界の書物を読破して、理想の書物を待ち焦がれていた彼女が、自ら書物をつくるようになるのは必然的なことだったのだろう。

《読者家なら誰だって、自分の書棚に理想の書物、行間を読む書物を持っている。読書は、自由が最も保たれる想像の空間であるにちがいない。なぜなら、作家たちは読者にある種の共同の創造を要請する一方で、たとえペンを取らないとしても、ページの間に入り込み、書かれた書物の背後に、自分が書きたいと思う書物を読みとる可能性も残しているからだ。》

 まるで〈バベルの図書館〉への滞在体験のように語られる読書体験。彼女の読書観には単なる誤読を越えた、来たるべき創作への意志、創造的な行為への肯定に溢れている。子供時代の読書は「空想の口実だ」とまで書く彼女の書評には非常に私的な体験のパッセージが多く散らばっている。書評を読んでいるはずなのに、私小説を読んでいるかのような気分にさせられるのも、彼女の書評の魅力のひとつである。

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 しかし、彼女がこれほどまでに読書に渇望し、書物にフェティシズムを感じるのは、単に美化されたノスタルジックな想いゆえではない。彼女がフランス語で書くことになったのは、ベトナム戦争の惨禍から逃げるために、思春期にフランスへ移住したからだ。

 あるエッセイでは、悲惨な子供時代の思い出が語られている。サイゴン陥落後、外国文化を禁じるお達しが出ると、妹は『Oui-Oui』(フランスの有名な絵本)を捨てることになる。詩を愛し、自らも詩を書いていた姉は『金雲翹』を手放し、リンダ・レ自身は『レ・ミゼラブル』を手放した。母はエヴィルスやビリー・ホリデイのレコードを捨てて、父は聖書以外の書籍を持たなくなったという。共産主義により、書物と外国文化を家族で手放した体験があるからこそ、彼女には書物への神聖視があり、「ここにはない書物」への愛があるのだろう。

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 彼女は常に根無し草の感覚を抱いていた。フランスにもベトナムにも故郷を見出せず、自らを『テンペスト』のキャリバンにたとえている。自分はフランス語作家なのか、ベトナム出身のフランス語作家なのか、フランス語を用いるベトナムの作家なのか。こうした問いは、彼女から終生離れることがなかったようだ。

《育ったのとは別の言語で書くことを選んだ作家は、キャリバンがプロスペローに服従したように、この別の言語との関係を経験する。師匠の道具に誘惑され、プロスペローが到達した芸術の頂点に達したキャリバンみたいになりたいと願っている。しかし、この後天的な言語と文化への自らの憧憬は、政治的な意図を帯びている。フランス語で書くことを選んだ亡命作家は、キャリバンのコンプレックスに苦しんでいる。自らの言語への献身は、異端さと混ざり合っているのだ。》

 フランス現代思想の隆盛以来、移動(ノマド)や多言語使用は肯定的なものとして捉えられてきた。だが、そうした行為の背後には、常に政治的・社会的な背景が潜んでいる。だから、リンダ・レの文章には、ノマド/多言語使用への単純な讃美は存在しない。そして、彼女が好む作家たちは、どこか憂鬱さを抱えている――マリオ・デ・サ=カルネイロ、ウィルキー・コリンズ、ベンヤミン、カフカ、レオニ・ド・アンドレーエフ、シオラン。

 もしかすると、そんな作家たちに彼女は自らを重ねていたのかもしれないと思う。とりわけ、これらの作家たちに亡命を経験した作家が多い場合には……。しかし、それでも、リンダ・レが2022年まで生きてくれたことを嬉しく思う。まだほとんど知られていないこの女性作家が残してくれた文庫たちは、〈図書館〉で私たちが未来の読者となることを待ちわびているのだから。

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【今回の書籍】:Linda Lê, Le complexe de Caliban, Christian Bourgois, 2005.

【注】:今回の書籍は書評集なので小説ではないのだが、作者の私的な思い出が多く語られているため取り上げた。