「盗むひと」とは誰のことなのか――『盗むひと』とデュラスの関係

【以下は配布リーフレットに記載したものと同内容です】

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マルグリット・デュラスによる盗難

 冒頭で真っ白なスクリーンにマルグリット・デュラスという名が黒字であらわれた瞬間から予想がつくように、『盗むひと』はデュラスらしさにかなり乗っ取られた作品だ。ジャン・シャポー監督のデビュー作であるにも関わらず、公開当時の『コンバ Combat』紙では次のように評されている。

ジャン・シャポーの処女作は、映画作家の誕生を告げるものだと言いたい。しかし、作家とはマルグリット・デュラスではないのか? 俳優たちによって発される最初の台詞から、マルグリット・デュラスの台詞の秘訣である不安のムード、緊迫した雰囲気に私たちは投げ込まれる。

Commbat, le 23 et 24 juillet, 1966.

 たしかに、本作はデュラスらしさがあまりにも表出していると多くの者が思うことだろう。忘れることをめぐるやりとりは、『ヒロシマ・モナムール』や『トラック』のような記憶と忘却をめぐる主題を思い起こさせる。あるいは、自らの思いをうまく言葉にできず、単語を途切れ途切れに発するような後半の台詞も、いかにもデュラスらしい雰囲気をそなえている。

 だから、「盗むひと」とはデュラスのことでもあるのかもしれない。フランスの大物文芸評論家ロール・アドレールはデュラスの伝記内で、「デュラスはシャポーから映画を「盗んだ」のだ」と記している。さらに、ジャン・シャポー監督本人は、次のように証言している。

共同作業は容易ではなかった。というのも、彼女は才能が際立っているのと同じくらい、強烈な人だからだ。私は盗む女も盗まれた男も同様に映したかったが、彼女は映画を盗む女へとスライドさせた。[……]私の主題を見せるには、彼女はまったく正しかった。私たちは些細な部分を可能なかぎり削除した。

Cinéma 66, n. 111, décembre 1966.

 もちろん、物語もデュラスらしいものなのだが、この「らしさ」については少し説明が必要だろう。インドシナものではないとはいえ、本作 もれっきとしたデュラスらしいストーリーの系譜にある。それは、ドイツの工業地帯を舞台にした一人の女性犯罪者による事件、すなわち三面記事事件を扱った作品であるからだ。

 1950年代のマルグリット・デュラスは、ジャーナリストであったジェラール・ジャルロと出会い、ジャーナリズムや三面記事への興味を抱くようになる。一九五七年からは、自ら新聞や雑誌へ記事の寄稿を始めるが、彼女の記した記事には犯罪を報道するものも少なくない。彼女が記した三面記事は、『アウトサイド』という書籍に採録され確認ができる。彼女は三面記事を読むことも好んでいた。小説『ヴィオルヌの犯罪』は、当時の三面記事事件から着想を得た。映画・小説『かくも長き不在』もモデルとなった事件が存在する作品であるし、『モデラート・カンタービレ』も三面記事的な殺人事件を描いた作品である。

 最終的に彼女は、フランス全土を揺るがした1984年の「グレゴリー事件」について、推定無罪の原則を破った非常に主観的な三面記事を『リベラシオン』に記したせいで糾弾された。糾弾後の1988年7月、汚名挽回のため、テレビ出演の際に彼女が述べた言葉は(『盗むひと』や小説・映画の製作時期よりだいぶ後年のこととはいえ)、かなり参考になるところがある。

私が言いたいのは、それは興味のために、楽しみのために、結局娯楽のために大衆へと提供されるものなのです。ええ、それでも情報、社会的な情報は存在します。[……]三面記事について書くこと、それはひとつの叛逆の方法なのです! 逆にあなたに聞きたいのですが、そうでない三面記事について書くことなどできるでしょうか。

Au-delà des pages, TF1, 26 juin et 3, 10, et 17 juillet, 1988.

 デュラスは、三面記事が我々を下世話な興味によって魅了することを認めている。たしかに、週刊誌を読むとき、わたしたちに下心があることは否定できない。社会的に地位が高いわけでもない人間が、猟奇的な殺人を犯したとき、痴情のもつれにより何か重大な事件を起こしたときの苛烈な報道が良い例だ。しかし、デュラスは三面記事が叛逆の作用をもっていることも強調している。日常生活で、決して話題に上がらないはずの名もなき人々の生活を、明るみに出すのが三面記事のはたらきのひとつであるからだ。

 ジュリアたちは、通常なら決してメディアや社会が目を向けることのない存在である。まず、登場人物たちがフランス語とドイツ語を織り交ぜながら会話をしていることからも分かるように、彼ら彼女らは移民なのかもしれない。事実、育ての親であるコストロヴィッチは、ポーランドからの移民であることが劇中の台詞で示されている。本作は、移民の工場労働者たちが引き起こした事件を描いたものなのだ。

 名もなき女性の犯罪と、彼女を取り巻く労働階級・移民の者たちの些細な出来事を描いたという点で、この物語はかなりデュラス的だと言えるだろう。

ロミー・シュナイダーの存在

 本作品の製作が企画された当初、ジュリア役としてあがっていたのはジャンヌ・モローであった。しかし、ジャンヌ・モローはあいにく他の撮影などで多忙であったために、デュラスと前作『夏の夜の十時半』でもタッグを組んだロミー・シュナイダーに声が掛かったそうだ。この配役が結果的にベストであったことは、映画のロミーの佇まいからも明白だろう。密室で真っ白な壁の前をそわそわと徘徊する姿、子供を手に入れてからも不安のしるしが消えていない顔、つまらなさそうなピコリの前で、食事をむさぼり食う姿――どれもがこれしかないと思わせる演技である。

 実際、ロミーは脚本を読んだ際に、この映画への意欲をはっきりと示している。彼女自身の言葉を引用しよう。

脚本を読んだ瞬間、私の心は決まった。それは悲しみ、掻き立てられた熱情、諦念といった若い女性が経験するあらゆる感情を表現できる可能性を秘めた、夢のような役だった。穏やかな優しさも、泣き叫ぶ姿も、憑りつかれたように激昂する姿も見せることができる。

 実は、ロミーはこの映画の撮影時に妊娠中だった。オファーを引き受けた際の彼女はまだ、やがて自らの身体に起こる変化について知らなかったのだ。また、彼女は妊娠中絶の経験があり、そもそも初めは産みたくなかったというジュリアの感情を大いに理解していた可能性もあるのだが、中絶時期がオファーよりも前であるかは不明である。いずれにせよ、この映画に出演したロミーの本気はスクリーン上で際立っている。

 1971年、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの起草により「三四三人の宣言」が世に出され、妊娠中絶の合法化への声が上がり始めた際には、ドイツ版の宣言にロミーも署名している。そうした彼女が、この映画に出演していることは非常に重要なことであり、この作品が投げかける問題意識は今日でもけっして色あせていない。

 本作は、公開当時には商業的成功を収めていない。この後、ジャン・シャポーが映画で大成功をすることはなかったし、デュラスは独自の世界観で監督業をはじめることになる。しかし、今こそ、この映画の真価が分かるときであるように思う。緊急避妊薬の一般販売に否定的な声が上がる日本ではなおさらに。

【補足】

 本作品の原題を正確に訳すなら、『盗む女/女泥棒』である。フランス語の名詞には性が存在し、原題は女性名詞《 La voleuse 》であるからだ。女性形であるということが重要なのは間違いない。この映画の主役が、女性の泥棒ジュリアであることを明白に示しているからだ。しかし、「女泥棒」と訳した場合、子供を盗んだジュリアだけが悪人であると捉えられる可能性を想定して、今回はあえて曖昧な訳をした。いつの日か、『盗む女/女泥棒』に邦題を変更したいと思っていることを付記しておく。